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Fantômeに寄せて

 

人は強い生き物だから、哀しくったって生きていける。どんなに心が空っぽでもお腹が空く。訪れてしまったその時に、明日の予定をどう変更するべきか、現実の処理を黙々とこなす。大切な人がいなくなったのに、失敗したテレビ番組の録画に悔しさを噛み締めたりする。

日常は淡々と続いていく。淡々と続く日々は、むなしくても幸せだ。

だってもしも明日、この世界が終わるなんて言われたら信じられない。消えてしまいたいと思うことがあったって、じゃあ終わりです。と神様に言われたら、全力でさっきのは嘘です!と前言撤回するだろう。

毎日を楽しく生きていたい。楽しみにしている映画やテレビや好きな作家の新作や、友達との旅行や、大好きな人の未来や、見たい景色がまだまだたくさんある。

いなくなった人たちは、今の世界をどう思うのだろう。ここは生きていたかった世界だろうか? 大人になった私を見て、なんて言うだろう。例えば友人の子どもだとか、会ったことのない新しい生き物とも彼らは仲良くなれただろうか。私の好きになった人を見て、その男はやめとけとか言ってくれたんだろうか。

“Everybody finds love  In the end”

いつも、もう会えない人たちをふと思い出す時、この歌が聴こえる。

“すべての終わりに、誰もが愛を見つける。”そんなフレーズが優しい声にのって私の心の琴線に、そっと触れる。

この世界に産まれて、長くて短い時間を生きて、彼らは何を見つけたのだろう。

じりじりとにじみ寄ってくるみたいに、いつかくると覚悟を決めて、やっと来てしまったその時に、もう恐れなくてもいいのだと、ほっとしてしまう別れがある。そして予想もつかないまま、突然身体をもぎ取られるみたいな衝撃でやってくる別れもある。残された私たちの日常は、どんな重みを身体に感じても、淡々といつものように続いていく。

開いたばかりの花が散るのを

見ていた木立の遣る瀬無きかな

桜流し」をただ見ているだけの木立は、もう二度と会えないなんて信じられなくて、だけどどこかで少しずつ、それを受け入れていく。すぐに忘れて、ときどき急に思い出しては、その度に二度と会えないという現実に驚いて。そうやって私たちは明日を生きる。

 

「Fantôme」は宇多田ヒカルの6枚目のアルバムだ。フランス語で「幻」や「気配」を意味するタイトルで、この日本のポップアルバムは当たり前のように世界中で売れに売れた。LGBTのことや男女という相反する存在、喪失と再生。様々なテーマが込められているこのアルバムについて、きっとたくさんの議論や評価があるのだろうけれど、そんなことは、私にはどうでもいいことだ。「ともだち」を聴けば切なくなるし、「俺の彼女」では、まるで一本の一人芝居を観ているような、宇多田ヒカルの 男女の違いを感じさせる歌い方は本当に素敵で、「忘却」を聴けば全開でどんより出来る。

そして度々出てくる、亡くなった母への想いを歌う曲を聴くたびに、淡々とした日常に紛れてうやむやになっていた、心の奥底の哀しみが浮かぶ。

 

振り返ってみれば、2枚目のアルバム「Distance」の頃から、母親を思わせるモチーフは度々登場していた。甘えたくて褒めて欲しくて、だけど自分の望みを叶えてくれることはない。それが彼女にとってのお母さんだったのだろうか。人の親子関係なんて、計り知れることではないけれど、すべての人たちにとって、母親は一番の理解者であり、最初に衝突する理解不能な他者だ。分かりたくて分かって欲しくて、分かり合えなくて、謎を残したまま、彼女はその人に、永遠に会うことが出来なくなってしまったのかもしれない。

揺れる若葉に手を伸ばし

あなたに思い馳せる時

いつになったら悲しくなくなる

教えてほしい

真夏の通り雨」より

悲しくなくなる日なんてこない。雨はずっと止まないし、渇きが癒えることなどない。

今、どこかでかなしい人がいるのなら、受け入れられないことを受け入れる必要なんてないんだって言ってあげたい。思い出すたびに涙が溢れるのなら、それを止める必要もない。突然襲いかかる哀しさに、コントロール出来ない涙に、自分がおかしくなってしまったのかと思うけど、それでも、きっと私たちは強いから。

 

「Fantôme」の一曲目の「道」という曲が好きだ。

キャッチーで覚えやすいメロディーと踊りだしたくなるようなソカのリズム。

黒い波の向こうに朝の気配がする

消えない星が私の胸に輝きだす

悲しい歌もいつか懐かしい歌になる

見えない傷が私の魂彩る

はじまりの歌詞に喪失からの再生が詰め込まれてる。傷だらけだからこそ、魂は彩られるのだ。

二度と会えない人たちは、“私の心の中に”いる。その人の匂いが、笑顔や涙や怒りや哲学が、残された私の心の中に溶けて、未熟な魂が彩られていく。ひとりだと思っていたけど、そうじゃなかった道。

この歌の歌詞のように、どこに行って何をしたらいいのか分からない明日を、心の中で彼らに尋ねてみても、何の返事もないけれど、私たち人間には、考える力と想像力があるのだ。

“It`s a lonely road    But I`m not alone”

ひとりきり歩いた道だけど、私はひとりじゃなくって、その事がちょっぴり照れくさいから『そんな気分』だと、すかしてみせる。

この曲を彩るソカのビートはもともと、カーニバルの為に作られた 音楽だったそうだ。カーニバルのビートにのせて、続いていく道を踊り、進む。

 

花束を君に」で聴こえる吐息、「真夏の通り雨」や「桜流し」で聴こえる鼓動のように生々しく刻まれるビート。この音たちを聴く時、自分の命を感じる。もう会えないその人が、私の命に染み込んでいるって思う。私たちは今を生きているのだ。

私たちは今を生きて、明日へと進む。

その命の傍にFantômeを感じて。